2013年1月24日 説経節 体験 少々昔話

やはり前回予告した通り練習に行くことができませんでした。
なんか最近行けてないなー。

いつも行けませんでしたの報告では少々つまらないので、前にしらべた若松の事を少し。
若松と言う名前はどのようにして出来たのか疑問に思う方もいらっしゃると思います。
説経節といえば薩摩が昔からある名前でしたが、その薩摩の5代目の弟子の一人に「日暮竜ト」と言う人がいました。
※「日暮竜ト」は隠居後の名前。隠居前は薩摩派5代若太夫に師事し、薩摩辰太夫と名乗る。後に若松辰太夫と改名。
この人は薩摩の6代目を継ぐのではないかと言われるぐらいの実力の持ち主でした。そして日暮竜トの高弟の一人が初代若松若太夫となります。
この竜ト(薩摩辰太夫)が福島へ巡業へ行った際にトラブルが発生。
敵対関係にあった会津と薩摩の事は周知の事と思うが、この事が根強く会津若松に残っており、薩摩の名前を出すと元会津武士からいやがらせを受ける事が多々あった事から、巡業中会津若松の「若松」の名前を使い若松辰太夫とし巡業したのが若松と言う名前の発端らしいです。
もし間違いがあるようでしたらご存知の方からのご連絡お待ちしております。

私事になりますが、私はこの「若松」と言う名前をとても身近に感じてます。
私の祖父は会津若松の出身で、親戚は今も会津に住んでいます。
その為か昔から会津若松との交流がありました。柿の季節になると「みしらず柿」が送られてきて毎年美味しく食べたものでした。
大震災の少し前も会津に子供を連れて行ってきました。今は原発の事故が福島を汚染してしまったので行くのを控えてます。会津若松自体安全である事は確認されているんですけどね。。。残念です。
そして極めつけが私の妻です。私の妻は埼玉の所沢(竜トも埼玉にいました。これも偶然?)が実家です。たまたま友達同士の縁で知り合い全然違う地域の二人でしたが結婚に至りました。ですが結婚してビックリです。
なぜなら妻の田舎も会津若松でした。
しかも会津の同じ地区に私の親戚と妻の祖父が住んでいて、お互いに知り合い同士でした。。。
私の親戚は教師をしており、妻の祖父も教師でした。そしてお互いに知り合い。
更にビックリしたのが妻の父親の担任を持っていたのが私の親戚という事で、会津を舞台にものすごい繋がりが判明したのでした(笑。
そして私が師事した説経節の師匠が若松若太夫師なので、若松と言う名前をとても身近に感じる。。という話しでした。

わたし事の話しですいませんでした。

でも私が師事したのが薩摩ではなく若松なのは、私にも会津の血が流れているからなのでしょうか。(笑
きっと昔の会津武士も若松と言う名に親近感を抱いた事でしょう。竜ト達の作戦勝ちですね。。。

上記は冗談ですが、私は若松会の雰囲気がとても好きですし、若い方から高齢の方まで和気藹々と練習をしている感じが落ち着きます。
もし説経節の練習に参加されたい方がおりましたら、一度見学に来られる事をお勧めいたします。きっと私同様に若松の雰囲気を気に入っていただけると思います。

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