2016年10月3日 「日本芸能史」 京都造形芸術大学ーー若太夫日記

10月3日、京都は朝から曇り模様であった。京都駅に着くと塩小路通を、東に向かって歩いた。鴨川を渡り、しばらくいくと、蓮華王院、すなわち三十三間堂がある。
私は浄瑠璃の「棟木由来」や、御堂の端から端までを矢を射通す「通し矢」で有名なこの御堂に、お参りしたことがなかったのである。
境内に入り御堂を見渡すと、本当に大きなながーい御堂である。外観を見学すると御堂の裏側(西側)に通し矢の痕跡を見つける。そして入場して、ゆっくりと約千体の観音様にお参りすることができた

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御堂を出て、京の風情を感じながら豊国神社に沿った七条通りの町屋を改装した喫茶店の二階で軽食を取りつつ一息ついた。
何気なく時計をみると、なんと約束の時間が迫っている。あわててタクシーに乗り、鴨川沿いを上っていく。五条、四条を過ぎ、京都大学の先を東に折れ、
白川通りから京都造形芸術大学へと向かう。なんだか説経節の道行きみたいだ。あわてて春秋座の楽屋に駆け込む。既に約束の時間に十数分遅れてしまったのだ。

すると田口章子先生が、「若太夫さんどうかしましたか」と心配されていた。
咄嗟に「すみません三十三間堂の観音様にお願いごとをして時間が過ぎてしまいました」と、冷や汗をかきかき、苦しい弁解をして、なんとかお許しをいただいた。田口先生スミマセン。

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それから場合わせ、音響のテストなどをすませて、定刻通り開演となった。田口先生からご紹介をいただき、その後に説経節の歴史や若松の歴史をお話しさせていただく。

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そして弁慶勧進帳安宅の関の段をおよそ40分語らせていただく。学生さんはじめ多くの皆様にお聞きいただきました。ありがとうございます。

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2016年10月1日 上越市直江津「説経浄瑠璃公演会」   ーー若太夫日記

9月30日の深夜、新宿のバスタを初めて利用した。大型バスターミナルが、忽然と新宿に出現していた。その巨大な様相に驚きを禁じ得なかった。金曜日の特に月末のこともあってか、老若男女混雑し、待つ客も多い。掲示板はくるくるとバスの便名、行先、発車場所をひたすら繰っている。発車を待つこと約1時間、23時10分発直江津駅前行のバスに三味線のケースを抱え、ようよう乗り込み、体を横たえた。

身の置きどころを得た安堵感からか、バスの不定周期の揺れも、周りの人の息づかいも気にならず、すぐ眠りに落ちついた。目が覚めたのは朝方5時頃。バスは関越道から上信越道に入り、上越インターチェンジを降りて、高田駅前に着いたときだ。まだ薄暗い駅舎と降り立った若者が車窓に浮かぶ。

バスが直江津駅前に着いたのは、月が改まった10月1日、5時40分頃だった。今回の公演でお世話になる佐藤和夫さんが、既に車でお見えになっていた。佐藤さんは直江津で「北越出版」を経営され、その傍ら直江津の歴史研究や、まちおこしについて主導的に関わっていられる。

平成14年には真行寺というやはり直江津のお寺で「さんせう太夫」と「弁慶勧進帳」を語らせていただいた。秋の十一月であったと思うが、その日快晴だった空が、急に曇り風雨が激しく境内の土を叩いた。雹まじりであったかと記憶している。その時お寺の奥さんの「これが直江津の気候なんです」という言葉が今も耳に残っている。

十数年ぶりに佐藤さんにお目にかかり、感慨一入。ご挨拶もそこそこに駅前の附船屋旅館さんで一息入れることにした。実は佐藤さんは私が朝早く到着することを知って、休憩所を手配してくれていたのだ。畳に敷かれた布団に勝るくつろぎはない。おかげ様で仮眠と朝食を摂ることができた。

しばらくすると、午前中のうちにと佐藤さんが再び車で現れ、市内を案内して下さった。直江津は、さんしょう太夫の伝説の地、説経節のモチーフになった中世都市だ。興味は尽きない。佐藤さんは高田の寺町のある寺の門前に車を止めて、私に言った「この寺に山岡大夫の墓といわれる祠があるんですよ」。木立の深い参道を入ると本堂の右手に墓地が広がり、その中に山岡神霊位と掲げた木口のよい祠が建っていた。妙国寺という、日蓮宗の寺院である。

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聞くところによると、説経節のさんせう太夫をモチーフとした「婆相天」という能が、平成11年、上越市制施行30周年を記念して復活上演された。その際にこの祠も新たに建てられたという。さんせう太夫の山岡大夫は、名うての人買いであるが、婆相天に登場する「問(とい)の左衛門」は商売人ながら、陰の人買いという設定らしい。

山岡大夫の小ぶりな石像は、いまでは難病除けや、商売繁盛に御利益があるという。その前世での行いからか、いかめしい鬼神の容貌のようであるが、どこか憎めないユーモラスな雰囲気を漂わせる。

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佐藤さんはなおも車を走らせ、戦国の名将上杉謙信の居城であった春日山城や、越後国府跡の五智国分寺などをご案内いただいた。国分寺から海岸に出る。居多ケ浜である。この浜は京都から流された親鸞が上陸した地。承元元年(1201)、35歳の時という。それから7年間を親鸞は越後で過ごしている。

そこから浜に沿って直江津の市街に向かう浜沿いから町を眺めると、かつて北前船の寄港により繁栄した様子が時間を超えて浮かんでくる。関川が日本海に流れ込む河口が直江の津である。その堤防沿いの一角を盛り上げ、竹垣で囲った中に、安寿と厨子王そしてうわたきの墓と伝えられる五輪塔が建っている。かつては河口より少し上流の荒川橋のたもとのあったが、河川改修により現在地に移されたという。

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またその下には森鷗外の山椒大夫の文学碑が建っている。黒御影を穿った立派な碑で、比較的新しく2009年に建立されたものである。題字の山椒大夫、鷗外森林太郎の文字も自筆原稿からとったもので格調が高い。

以下、碑に刻まれた冒頭を引く。「ここは直江の浦である。日はまだ米山の後ろに隠れていて紺青のような海の上には薄いもやが掛かっている。一群れの客を船に載せて纜を解いている船頭がある。船頭は山岡大夫で客はゆうべ大夫の家に泊まった主従四人の旅人である。」

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中世、直江津は直江の津または直江が浦と呼ばれた。越後国府の港、日本海を航行する東国と西国の船が行きあう港として、全国に知られていた。関川の河口には直江千軒といわれる多くの町屋が立ち並んでいた。山岡大夫が親子四人を見つけた逢岐の橋(おうぎのはし)は今の直江津橋の辺りに架けられていたという。

その時代、関川流域は港としてにぎわう一方、河原や中州にはいろいろな職能を持った人が生業を展開し、その中で生活する漂流の説経師がさんせう太夫の話を創作し、語り広めたのではないかと想像をめぐらす。

今回、直江津の地をご案内いただいて、直江津が舞台となる、さんせう太夫の船別れの段を語ってみたいと意欲が湧いてきた。

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佐藤さんに上越市の名所について、案内をしていただいているうち、時間が迫ってきた。会場の西本町にある泉蔵院さんに荷物を持ってお邪魔することにする。控室にと庫裡の茶室を用意してくださった。

泉蔵院さんは真言宗豊山派のお寺で、開創は大同3年(808)と伝え、本尊は弘法大師の御作という地蔵菩薩である。立派な本堂を会場として使わせていただいた。14時に開場すると大勢のお客様がいらして、開演の14時30分になると、本堂は御覧の通り満席となった。

佐藤さんに今回の説経節公演の演目「さんせう太夫」と「安宅の関」について解説をいただきつつ、説経節公演会が幕を開いた。

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まずは、本尊様に一礼して、「安宅の関」から語る。

『義経記』によると、奥州へ逃れる義経一行は、北陸道の途中の直江の津を通りかかり、花園観音堂(観音寺)で、笈の中身を追及されるという場面があるが、そらが能「安宅」の義経主従追及の一つのモチーフのとなったようだ。義経ここから海路を進むが、当時直江の津が海路を含めた交通の要衝の地であることが浮かび上がってくる。義経主従の伝説にとって直江津は大事な地なのである。

少し休んで、次は「さんせう太夫鳴子唄」を語る。

お客様は静かにしみじみと聴いて下さった。泉蔵院さんの本堂は天井が高く、境内よりも幾分高くなっているので、時折参道から吹き上げてくる風が、語ってる私の頬を気持ちよく撫ぜ、励ましてくれた。

今回の公演では、「まちづくり直江津」の皆様をはじめとして、大勢の皆様にお世話になりました。また公演に際しまして、立派なチラシを作成していただきました。あらためましてお礼を申し上げます。

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2016年8月27日 取手市説経節公演「小栗判官」――若太夫日記

茨城県取手市の埋蔵文化財センターの企画展「西国巡礼・四国遍路金毘羅参り」という企画展の企画事業で説経節をお聞かせすることになりました。
当日、川越インターから関越道で練馬へ、満身創痍の軽自動車に鞭打ちまして向かいました。練馬インターはいつも板橋に通う時に使っておりますが、外環道を走るのは初めてでドキドキしました。大泉ジャンクションから外環道そして常磐道を経て、何とか私の車は取手市役所の敷地にある福祉交流センターに到着しました。

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開場時間の午後1時を過ぎますと、約120名ものお客様が詰めかけました。午後1時30分が開演です。初めに説経節と若松の歴史について、また「小栗判官」のあらすじと聞きどころをお話しさせていただきました。本当にお客様のノリがよくて助けられました。

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休憩をはさみまして「小栗判官矢取り」を語らせていただきました。皆さん熱心に聞き入っていただき感謝でございます。

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また終演後楽屋に旧知の大谷晃子さんが訪ねてくださり、小栗サミット以来久しぶりにお目にかかり、話に花が咲きました。 ご来場の皆様、取手市埋蔵文化財センターの職員の皆様、お力添えをいただきました皆様、ありがとうございました。

2016年8月1~2日 清泉女子大学「日本芸能文化」講義――若太夫日記

8月1日、2日の2日にわたりまして、五反田にあります清泉女子大学の正規の授業「日本芸能文化」に出演させていただきました。

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この女子大には旧知の秋本吉徳先生が教鞭をとっておられ、長年先生と温めてきた説経節を題材とした授業が実現することとなりました。午前の1限から午後の3限までの4コマ90分の授業を2日間行うので大変ボリュームがあります。授業を受ける生徒さんも70~80名でした。
1日目の一番初めに、ご挨拶代わりに私が「御祝儀宝の入船」を語りましたが、生徒のみなさんは皆キョトンとしていました。

「語り物芸能史」ということで説経の歴史について、秋本先生が授業を進めました。
芸能は保存のみを目的として博物館に入るものではない、大衆の支持を得るために時代とともに変わっていくものということを、説経節を例に取りお話しされました。その後には秋本先生と先代若太夫との出会い、ぐっと時代をさかのぼり説経の起源から江戸時代までの歴史についての説明、明治以降各界の名士の庇護を受け、説経節を大成させた初代若松若太夫のお話が続きました。

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おととしの関東ブロック民俗芸能大会での八王子車人形と私との共演「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」の映像を皆さんに見ていただき、その後に「さんせう太夫」を一段語り一日目は終わりとなりました。

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2日目は昨日の授業の最後に生徒さんからいただいた質問にお答えしました。
1日目が終わる頃には皆さん説経節のことについて興味や関心がわいたようで、たくさんの質問をいただきました。そのあとに希望する生徒の皆さんに三味線を弾く体験をしていただき、昔の台本やジュラルミン製の三味線の部品など若松に伝わる資料を見ていただきました。
三味線の指導はおいでいただいた秩父横瀬町の佐野敦子さんにお手伝いいただきました。
青木久子さんにもおいでいただき秋本先生と私の3人で失明した先代が青木さんの力を借りて一旦止めていた説経節を再び語りだす復活劇を語る鼎談をいたしました。それを受けて晩年の先代の「日高川入相花王」の映像も見ていただきました。

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最後に「石童丸」をノーカットで最後の「衣掛けの段」まで語りましたが、約70分かかりました。長い説経節になりましたが、生徒さんは最後までよく聴いて下さいました。

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2日間にわたる授業でしたが、生徒さんも説経節への知識が積み重なるにつれ、理解が深まり、次第に説経節を聴くことにも慣れてきたようです。若い人でも説経に関する知識があれば、十分に説経節を楽しんでいただけるという確信を得ました。清泉女子大学の秋本先生、佐伯先生、姫野先生、諸先生方には大変お世話になりました。ありがとうございました。

2016年7月10日――若松若太夫の説経節試演会

私が住んでおります狭山市に「たまり場 せきれい停」という住民の交流を目的とした場所があります。

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建築して100年以上経つ木造古民家の、一階部分をほぼそのまま使用しています。
そこをお借りして若松若太夫説経節試演会を開催いたしました。
実は四月の白久串人形公演の際に偶然出会った須藤さんという方にお願いして、落語の「芝浜」を説経節にした新作を書き下ろしていただきました。折角なのでみなさんにお聞きいただこうと近辺の方々にお集まりいただき、試演会ということになりました。当日は須藤さんにも会場にお越しいただき、ご指導をいただきました。

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「芝浜」は思ったよりも時間が超過し、もう少し練り上げる必要がありそうです。そのほかに「日高川」を聞いていただきました。会場にお越しのみなさんにも楽しんでいただけたかと思います。お席亭の沼崎さんにはお世話になりました。ありがとうございました。

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