2017年8月20日 師匠方の墓参りーー若太夫日記

さる8月20日、普段ご無沙汰しているお詫びに、朝から師匠方の墓参に出かけました。

横瀬のふくさ人形の佐野ご夫妻に御同行いただき、先ずは初代のお師匠さんが眠る多磨霊園に向かいました。

初代は昭和23年9月24日に、熊谷市の生家で亡くなりましたが、一年後の24年9月に多磨霊園に分骨埋葬されました。

しばらくぶりに、初代に近況報告を致しました。

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それから五代目薩摩若太夫師の眠る、板橋区赤塚の浄蓮寺様へ向かいました。浄蓮寺様は東京大仏さまでも

有名なお寺です。

 

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大仏様の裏手に五代目の薩摩若太夫師の墓があります。五代目のお墓は珍しい六角柱で「説経家元 五代目

若太夫墓」と刻まれています。明治10年8月29日に亡くなっています。また墓には五代目の辞世が刻まれています。

「何所となく行先広し秋の風」 うちのお師匠さんもこの句が好きでよく口ずさんでいました。私も、何となく茫洋とし

ながらも説経節の将来を確信ているようなこの句に、励まされています。

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それから、同じく板橋区大原町の長徳寺さんに向かい。先代のお墓に近況報告いたしました。長徳寺さんは真言宗

豊山派のお寺さんです。

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それから、佐野さんが折角なので、初代の生家の墓地がある熊谷市石原の東漸寺さんにもお墓参りにうかがったらと

勧められまして、急遽墓参をすることになりました。東漸寺さんは臨済宗妙心寺派のお寺さんです。

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東漸寺さんの墓地には、初代が母と妹の供養に建てたお地蔵さまがありました。

山口平八氏が著した『若松若太夫芸談』にはそのお地蔵様の事が書かれていましたので、引用してみます。

「若太夫が故郷上石原へ疎開して間もない昭和二十一年秋の彼岸に母みちの二十三回忌と、妹きよの十三回忌を

兼ねて建てた石仏の地蔵尊が彼の墓地にあるが、その面相の美しいこと、円満慈悲そのままのやうなのは、ほんとうに

当時の若太夫の心境を表はしてゐるやうに見える。若太夫自身も心からその出来栄えを喜んでゐたといはれる。長い間、

郷関を辞してゐたことをせつなく思ったのであらう。彼は、この石仏を建立して、肉親の霊を慰めたのである。わたくしは、

田園に帰居した老いたる若太夫の美しい姿をここに見る。」(筆者一部校訂)

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素朴ないいお顔のお地蔵様でした。

夏の終わりの一日、長の無沙汰のお詫びのお墓参りでございました。

お墓参りに同行いただいた佐野さん、ほんとうにありがとうございました。

(photo by  sano  atuko)

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