2013年3月 説経節 体験

3月は仕事が多忙な為欠席でした。

2013年2月28日 説経節 体験

最近説経節のテンポが少し体に染み込んだと言うか入って来るようになったような時がたまにあります。
遅いと言うお言葉が聞こえるような気がしますが。。。
ですが、洋楽を学校で習って来た人にとっては説経節のテンポって難しいんですよ!これが。
江戸時代、それより前の人たちもそうかもしれませんが、昔の日本人って行進が出来なかったらしいですよ。日本人は洋のテンポが入って来てから行進が出来るようになったらしいです。
昔の人のテンポって現代人には難しいんです。
説経節にはこの昔の独特なテンポ、言い回しがあるんです。
これを体に染み込ませるまでが本当に大変だと思うんです。自論ですが。
同じ日本人なのにどうして?
と思われる方がいると思いますが、これは説経節をやってみないと分かりません。
先生が軽やかに語っているのを聞くと、簡単そうに聞こえる節も、実はかなり難しいのです。
語りの所で「尋ねさまよい今日三日」と言う場所がありますが、私は最初ここに苦戦しました。
まるで鼻歌のように語るんですよ。
無意識のうちに鼻歌を日常で歌う事を、意識して語りとして語るのは大分難しいです。音程がはずれまりです。
ですので言葉言葉での語尾をきっちりと発音しなければなりません。

前説が長くなりましたが、この日はこれが課題だったとおもいます。
先生からご指導を受けた場所は上記の点と石堂丸の台詞の部分でした。

「尋ねさまよい今日三日」の部分はやはり曲のテンポだと思います。覚えるしかありません。

そして今日のお題、石堂丸の台詞。
説経節をやりはじめて、一番最初に越えなければならない壁でした。
なぜかと言うと、子供の台詞なので声色としゃべり方を子供用に変えなければならないからです。
最初は人前でやるのがとっても恥ずかしい物です。
こわ高く発生し幼稚っぽくします。
ですが自分が未熟な為とても稚拙に感じるのです。ですのでおのずと声が小さくなります。
先生からは「腹から声をださいなとね」と言われますが、まずは恥ずかしさに慣れる事から始めなければなりませんでした。

少しなれて来たので大きな声を出す事が出来るようになりました。
本日はそこから更に一段あがった指導を頂いたような気がします。
少し語り方を変えるように言われました。
ただ高めの声では無く、太く細い声で、少し張りぎみの声でと指導されました。
なるほど。
ですので声色を変えるのではなく、いつもより語りに近い声で、なおかつ高めのと言うか太めの声にしました。
これは女の声をする時も繋がる事かもしれません。
一応「まーそんなちょうしで」と言われました。

石堂丸が終われば、次はもう皆さんがやっている葛の葉です。その時には上記の声色を変える部分が大変役にたちそうです。
なぜなら女性の台詞がとても多いのです。
台詞のイントネーションをしっかり今やっておかないと葛の葉は苦戦しそうなので、上記で述べた点を体に覚えさせるよう練習しようと思います。

そういえば本日初めて練習中に三味線の三の糸が切れました。
切れた箇所は一番多く抑える4、6、8の当たりでした。糸の真ん中ですので新品に替えなければなりませんでした。
練習中に替えるわけにもいかず、姉弟子から三味線を借りて引きました。
細棹だったので最初戸惑いました。やはり棹の太さによって押さえる位置も大分違う物です。良い刺激になりました。
ちなみに私が使っているのは中棹です。
あっ
そういえば切れた糸練習場において来てしまったような。。。
管理人さんすいません。

2013年2月14日 説経節 体験

この日は珍しく高速がガラガラでした。
6時半に出発したのに7時30分に到着。1時間でした。いつもこうなら良いのに。
さて、今日の練習ですが一通り語った後後半の指導をしていただきました。
後半は今までのゆっくり目なテンポから早いテンポに切り替り難しくなります。そして三味線も激しくなります。
ですので当然難しいのです。
練習中いつもテンポが取れず難しい節がありましたが、今回の練習で解決できました。
場所はというと「ああら不思議や」という場所があり、2弦同時に引く部分なのですが、これを同時にやるとどうしても三味線のテンポに引っ張られてギクシャクした語りと言うかなめらかではありません。
私ももっと良く先生のテープを聞けば発見出来たと思いますが指導を受けるまで語りと三味線を同時に合わせると勘違いしてました。
教わってみると「なるほど~」。
語ってから三味線を弾けばよかったのですね。。。
確かに良く考えればその方が合理的でありました。
一つ一つが勉強です。
小さい発見ですが勉強になりました。

2013年1月24日 説経節 体験 少々昔話

やはり前回予告した通り練習に行くことができませんでした。
なんか最近行けてないなー。

いつも行けませんでしたの報告では少々つまらないので、前にしらべた若松の事を少し。
若松と言う名前はどのようにして出来たのか疑問に思う方もいらっしゃると思います。
説経節といえば薩摩が昔からある名前でしたが、その薩摩の5代目の弟子の一人に「日暮竜ト」と言う人がいました。
※「日暮竜ト」は隠居後の名前。隠居前は薩摩派5代若太夫に師事し、薩摩辰太夫と名乗る。後に若松辰太夫と改名。
この人は薩摩の6代目を継ぐのではないかと言われるぐらいの実力の持ち主でした。そして日暮竜トの高弟の一人が初代若松若太夫となります。
この竜ト(薩摩辰太夫)が福島へ巡業へ行った際にトラブルが発生。
敵対関係にあった会津と薩摩の事は周知の事と思うが、この事が根強く会津若松に残っており、薩摩の名前を出すと元会津武士からいやがらせを受ける事が多々あった事から、巡業中会津若松の「若松」の名前を使い若松辰太夫とし巡業したのが若松と言う名前の発端らしいです。
もし間違いがあるようでしたらご存知の方からのご連絡お待ちしております。

私事になりますが、私はこの「若松」と言う名前をとても身近に感じてます。
私の祖父は会津若松の出身で、親戚は今も会津に住んでいます。
その為か昔から会津若松との交流がありました。柿の季節になると「みしらず柿」が送られてきて毎年美味しく食べたものでした。
大震災の少し前も会津に子供を連れて行ってきました。今は原発の事故が福島を汚染してしまったので行くのを控えてます。会津若松自体安全である事は確認されているんですけどね。。。残念です。
そして極めつけが私の妻です。私の妻は埼玉の所沢(竜トも埼玉にいました。これも偶然?)が実家です。たまたま友達同士の縁で知り合い全然違う地域の二人でしたが結婚に至りました。ですが結婚してビックリです。
なぜなら妻の田舎も会津若松でした。
しかも会津の同じ地区に私の親戚と妻の祖父が住んでいて、お互いに知り合い同士でした。。。
私の親戚は教師をしており、妻の祖父も教師でした。そしてお互いに知り合い。
更にビックリしたのが妻の父親の担任を持っていたのが私の親戚という事で、会津を舞台にものすごい繋がりが判明したのでした(笑。
そして私が師事した説経節の師匠が若松若太夫師なので、若松と言う名前をとても身近に感じる。。という話しでした。

わたし事の話しですいませんでした。

でも私が師事したのが薩摩ではなく若松なのは、私にも会津の血が流れているからなのでしょうか。(笑
きっと昔の会津武士も若松と言う名に親近感を抱いた事でしょう。竜ト達の作戦勝ちですね。。。

上記は冗談ですが、私は若松会の雰囲気がとても好きですし、若い方から高齢の方まで和気藹々と練習をしている感じが落ち着きます。
もし説経節の練習に参加されたい方がおりましたら、一度見学に来られる事をお勧めいたします。きっと私同様に若松の雰囲気を気に入っていただけると思います。

2013年1月10日 説経節 体験

あけましておめでとうざいます。
本年もよろしくお願いいたします。
本日も欠席となってしまいました。年初めなのに本当に残念です。
年末から本当に忙しいです。世の中少し活性化してきたのでしょうか?
次の練習に行けるか心配です。

2012年12月13日 説経節 体験

この日は仕事が押してしまい行けませんでした。
12月の最後の日に練習収めと思っておりましたが、兄弟子から電話があり最後の練習は13日で終わりに決まったとの事でがっかりです。
国楽ハンマダン公演の際に27日も練習をしましょうとの事でしたので、とても残念でした。

とりあえずは一年間ありがとうございました。

2012年11月30日 第3回 金福実国楽研究所発表会 国楽ハンマダン

金福実国楽研究所発表会 国楽ハンマダンに行ってまいりました。
このイベントは韓国の伝統芸能の発表会です。
場所は千住にある「千住ルミディス1番館」シアター1010でした。
いつものごとく高速を飛ばして現地へ向かったのですが、やはり混んでました。。。
まー予想はしていましたが、高速を降りてから痛恨の道間違い。
入り組んでて分かりません。
橋の隣に道が走っていて、カーナビどおりに行ったつもりが橋を降りてしまいました。とほほ。
15分のロスです。
急いで会場に駆けつけ、始まりのブザーと共に会場へ。
私と一緒に会場へ入った韓国の方は、待っていた民族衣装を身にまとった綺麗な女性に「あなた、なんでこんなに遅い」と片言の日本語で怒られてました。
私も遠目に見ながら反省。
兎にも角にも座席へ。

最初は金福実さんの「神妙章句大陀羅尼」でした。
お琴の良く似た(お琴かもしれません)楽器でハキハキと歌われるのが韓国流のようでした。
なぜ今韓国流と言ったかというと、今回の公演は両国に説経節のような語りがあり、日本の語りと韓国の語りを今回の舞台でお披露目されたみたいだったからです。ですので韓国流と日本流の説経節となりました。
韓国の音楽も実に聞きごたえがありました。
言葉では表現できないので音源等はネットで探してみてください。

演目が終わり、先生の出番。
若太夫の演目は「山椒大夫」。ご存知安寿と厨子王の原型の語りです。
と。。その前に。
本日は姉弟子も舞台に上がりました。
船水さん(パンフにお名前が出ているので匿名はやめました)が琵琶語りで第一部に出演されました。
携帯カメラから撮りましたのでピントが甘い所はご勘弁。

般若心経を琵琶で弾きたがるのは初めてみました。迫力ありました。
しかし若松の生徒は芸達者です。

いよいよ若松若太夫師の登場です。

いつもながら高めの声で会場内に語りが響きわたっておりました。
母親が歌う「安寿こいしやホーヤレホー」に感情が乗って、なんとも悲しげに聞こえました。
この演目でいつも思うことは、「いつもやっている私たちの説経とはなんか違う」と言う印象。
何かいつもやらない節と言うか曲が幾つも入っているような気がします。お話しの部分があるからでしょうか。
これは大分高度な語りなのではと自分なりに分析したのですが、どうなのか。。。
まだまだ聞き分けが出来ないのが実情です。

今回の我が会の報告はここまで。
なぜかと言うと、韓国の音楽や踊りに感激してしまったからであります。
以下に少し感想を書きたいと思います。

韓国の伝統芸能自体が全てそうなのか分かりませんが、出演者は男性1人以外は全員女性でした。
剣舞も披露されましたが、元々日本における侍に当る剣士が舞った剣舞を女性が行っておりました。
舞は本当に綺麗です。民族衣装もカラフルでカワイイです。
中国の舞踊のように大きな扇子を持って器用に閉じたり開いたりしていました。やはり文化は繋がっているのですねー。
良くあんな大きな扇子を操れるなーと関心しました。

踊っている方々もとても綺麗でした。
韓国の女性は綺麗な方が多いのでしょうか?
男の視点で感想を言ってしまいました。すいません。
ですがお綺麗でした。

驚いたのは最後の方の演目「五面太鼓」です。

写真を見て頂くと分かると思いますが、一人に付き5個の太鼓が用意され叩き分けるのですが、和太鼓同様にアクロバティックな太鼓の叩き方をします。
のけぞったり、前と後ろを体を使って思いっきり叩いたりと。。。
全員女性ですよ。
感服いたしました。息も乱れておりませんでした。
私でしたら酸欠で倒れてしまうこと間違い無しです。
あんなに動いているのにニコやかで、鮮やかな衣装が舞い、まるで竜宮城で鮮やかな魚達が演奏をしているような錯覚になりました。私だけでしょうか。
さすが文化財してされている方々は只者ではありません。

太鼓といえば、韓国の語りはお琴と太鼓がセットになっておりました。
楽器単体ではなく共演しています。
歌い始めで声を強く発する所では、太鼓の方へ目を合わせてタイミングを合わせると言う高等技術を行っておりました。見事にバッチリ合っておりました。

さて。
今まで女性の方ばかりの事を書いてしまいました。
美しかったのでつい。。。
しかし、女性の中に唯一人いた男性(60代後半ぐらいの方)。
この方が只者ではありませんでした。
韓国の語りに精通していない私にもわかります。すごい人です。
女性が弾くお琴も良いのですが、男性が弾くお琴は力強くなんとも凄いものでした。生で聞けて幸せでした。
語りと言うか歌がまたすごいんです。
声、歌共に聞きほれました。
ですので写真撮り忘れました。しかたがありません。目が釘付けでしたので。
終わった後は会場から大歓声と口笛、そしてアンコールの声。
私はと言うと間の抜けた顔で余韻に浸っておりました。

いやー今日は来てよかったなー。つくづく思いました。
11月30日は私の結婚記念日だった事と、平日で仕事が休めなかった事があり、一度は来る事をあきらめてましたが、来て良かったです。本当に。
カミサンには後でオベッカをつかうとして。。。。

最後に「南道民謡」という歌があり終演となりました。

初めて韓国の文化に触れましたが、言葉はわかりませが美しく優雅で、印象深い物でした。
今回の事で是非韓国にも行ってみたいと思うようになりました。機会があったら旅行に行きたいです。

気がつけば既に朝の5時30分。早く寝ないと。。。
それでは。

説経節雑感 近代の語り

みなさんは近代の語りって何だとおもいますか?
代表的なのは弁士や紙芝居やさんだと思います。
説経は大昔からの語りの芸能ですが、近代の語りの芸能も馬鹿にした物ではありません。
2年前に若太夫の公演の時に、弁士の方もご一緒に出演されておりましたが、とても楽しい物でした。
なぜこの話しかと言うと、11月24日に第22回青梅宿アートフェスティバルに行ってまいりました。その際に紙芝居屋さんと出会いましたので映像を含めお知らせしたいと思ったからなのですが、この時の紙芝居屋さん「大道芸源吾郎」さんの語りがとても素晴らしい物でした。
題目はおなじみ「黄金バット」、それと「どんぐりころちゃん」。
二つとも文化財らしいです。
紙芝居自体も懐かしくて良かったのですが、なにより源吾郎さんの声が素晴らしかったです(映像参照)。
どんぐりころちゃんの紙芝居では小さな女の子の声、悪者の声を使い分けるのですが、これも素晴らしかったです。説経節でも子供や女性の声を使い分けをするので、大変勉強になりました。
画像をアップ致しましたので是非ご覧ください。

2012年11月22日 説経節 体験記

さあ。本日は前回のリベンジです。
前回は初めて最終章まで行いました。今回は2回目です。
だがしかし。年末間近の仕事の忙しさから練習がままなりませんでした。
ですが最終章2回目の日は来てしまいました。
この日はいつもより早く家を出る事が出来ました。18時20分頃。
これは余裕で練習会場につくだろうと、たかをくくっておりました。ですが世の中うまくいきません。 
しょっぱなから大渋滞です。
そうです。明日から世の中は連休に入るのです。
これはまずいと冷や汗。大体高速入ってすぐの渋滞は練習会場に着く頃には練習が終わっている時間になってしまいます。
祈る思いでトロトロと車を進めました。
首都高に入ってからもずーーと渋滞。これは到着まで2時間コースだろうと予測。うまく行けば練習が終わる20~30分前には到着できるはずと自分を励ましました。。。

予測どおり30分前に到着。ギリギリセーフです。

本日の出席者は私を入れて4名。着いてすぐに私の番となりました。
先生にご挨拶をし、三味線を出す。
心の準備をする。

弾き始めましたが、なぜか最初から声の音程がとれません。なんか外しぎみです。
やはり練習不足の結果が如実に現れておりました。
三味線もツボを外すし糸から指が外れるし最悪です。 
そんな焦りからか、最終章まもっと最悪となってしまいました。前回より出来てなかたと思います。
問題の半音ずれる私の癖も見事に直っておりません。
説経節は語尾が難しいです。
演歌で言うコブシに似てるようで、そうでは無く、ビブラートのようでそうでもありません。
これが語りの難しさ。
やってみないと分からない難しさなんです。
恥をかきながらも語りきりました。

先生を見ると。

やはり全体に悪すぎて何処を教えれば良いか迷われている様子です。

とりあえずもう一度何処からかはじめてみて。。と先生から。
一番苦手な最終章あたりから始めました。

その日は~♪ いかなる~ 吉日か~あ♪  と始めます。ここでいきなりつまづきました。

 吉日か~あ♪ の所の語尾がどうしても出来ません。何度も先生と一緒に語りますが、まったくもって音程が分かりません。
吉日の「にち」の「ち」を上げて「か~あ」の「か」を普通の音程に戻し、「~あ」の最初の「あ」を上げて、次に下げた「あ」を言わなければいけません。
何度も何度も同じ節をやりますが直りません。最後に2回ほど出来ましたが、家に帰るまでに忘れそうな程難しいです。
とりあえず終わりになりましたが、終わった後も親切な姉弟子に色々教わりながら帰り支度。
出口あたりでも姉弟子と語尾の練習をしながら帰宅。
良い所の無い一日でした。

2012年11月17日 第17回若松若太夫独演会

平成24年11月17日(土)13時開演の独演会に行ってまいりました。